BINGOYA

HISTORY

This is Our History.

BINGOYAは2012年で創業40周年を迎えました。
これもひとえに皆様の温かいご支援のたまものと深く感謝いたしております。

このページでは、山陰で歩んできたBINGOYAの40年間を振り返ります。
どうぞご覧ください。

1972年、鳥取にてジーンズショップ誕生

創業者、安井保重は京都府与謝郡の生まれ。
ジーンズの発祥地、岡山県にて繊維工場に勤めるが、昭和32年、繊維産業の不況のあおりで会社が倒産。
心機一転、知らない土地である鳥取にてそれまでの問屋業から小売業を目指した。
現金で買い付けたジーンズを鳥取の裏通り商店街の軒先を借りて販売すると、
当時ジーンズブームの到来と相まって想像以上の売れ行きとなる。

この地で、ジーンズショップを開こう━

「BINGOYA」名前の由来

店名は、デニム生地の産地である岡山県倉敷市の児島、井原市(妻・千鶴江の出身地)と、
伝統的な藍染め(インディゴブルー)織物の一種「備後絣」が誕生した広島県の備後地方(福山市)に敬意を込めて
「BINGOYA(当時、備後屋(びんごや)」と名付けられた。
昭和47年の頃である。

昭和50年、当時のメイン商店街若桜街道に
60坪ほどのジーンズショップ「BINGOYA」をオープンさせる。

BINGOYA新時代の幕開け

昭和51年3月、それまでの安井商店から「有限会社びんごや」立ち上げる。

翌年、東京でジーンズメーカーに勤務していた啓三を迎える。
啓三は持ち前のバイタリティーと情報収集力を駆使し、BINGOYAを真の会社組織へと変えてく。
平成元年、新しく株式会社びんごやを設立し、啓三は代表へ就任。
そこから、BINGOYAは大きく変わっていくこととなる。

「売れるためには商品とタイミングが重要。1歩先ではダメ。半歩先こそがそのタイミング。」
「自らの目で見、判断する事。情報の真偽は必ずその地へ出向いて確認する事。誰よりも早く。誰よりも敏感になれ。」
当時から変わらない、啓三の言葉である。

当時は服だけを売るのが主流。 がむしゃらに頑張れば誰もが報われるよき時代であった。

しかし、毎年行っていた海外視察で のことである。
啓三と廣江(現在常務取締役)はロンドンの若者が集まる街、
コヴェント・ガーデンをいつものように訪れる。

そこで、何かが変わっていく事に気がついた。
昨年も訪れたその街では、多くの服屋が靴屋、鞄屋へと変わっていた。

変わらない店は潰れて行く ━

その気づきをきっかけに、服だけを売るのではなく、
「服・鞄・靴」を3本の柱とするライフスタイルの提案へと扱う商品を変えていった。

更に、初の郊外への出店を試みる。
今ではよく見る郊外への出店も、この時代ではまだ少ない。
当時、単店舗の規模としては日本で数番以内に入るであろう、
ロードサイドへの出店である。

これは、BINGOYAの将来を賭けた大きな勝負でもあった。

SUPERSHOP誕生

そして、倉庫のような姿をした大型店舗「BINGOYA SUPERSHOP」が誕生した。
当時の新店舗のこだわりは4つ。

  • ・広い空間と目立つ高さがある事。(広い空間は人々の心を癒やす)
  • ・交通量の多い二車線の道路と、側道が交差する立地である事。
  • ・什器・内装には生きた木の素材を使う事。(夏は涼しく、冬は暖かい建物である事)
  • ・店舗は商品と同様鮮度が重要。3年に1度は改装する事。

結果、大型店舗「BINGOYA SUPERSHOP」は豊富な品揃えと提供力で認知度を高める事に成功し、
その後10年の間に米子、出雲、松江、と各地方にSUPERSHOPをオープンする事となった。

プライベートブランドの開発スタート

平成20年のリーマンショック後、
消費者の商品購買は大きく様変わりする。
行きすぎた「高級ブランド信仰」は崩落し、消費者の商品選びは大きく変化した。
まさにリーマンショックという負の時代。

まさにここから、廣江常務を中心とした、
PB(プライベートブランド)商品の開発をスタートする。

Grasp at the times.

時代を捉えろ ━

これは、当時から今も変わらず現代表がスタッフに言い続けている事である。

時代と共に進化し続ける事。
服だけではなく、新しいライフスタイルを、新しい価値を、お客様に提供し続ける事。

これからも、お客様と共に、この地と共に、
僕たちは変化しつづける。